いちど日本語に訳しますか?それとも英語のまま理解できますか?
「英語のまま理解したいけど、日本語に訳してみないと心配だ。」
という方はいませんか?
あ、手を挙げている方がちらほら・・・
ブログのタイトルに「気づき」と入ってることだし、その名に負けぬよう、
英語を日本語に訳すことの限界を感じていただきましょう。
日本語を英語に訳すという逆の例ですが、次の3つの文を見て下さい。
・私は10才です。
・僕は10才だよ。
・俺は10才だ。
これらの文はそれぞれ含みが違いますね。
しかーし!
これを英語に訳してしまうとすべて
I am 10 years old.
になってしまうのです。
例えば、日本語を勉強しているカナダ人がいて、上の3つの文を全部
I am 10 years old.
という英語に置き換えて「理解」しようとしていたとします。
あなたはそれを正しい方法だと思うでしょうか?
「そんなやり方じゃ、だめさー」(なぜか語尾が沖縄風)
とツッコミたくなりませんか?
3つとも基本情報は「自分が10才である」ことですが、それ以外にも伝わる
事柄があるはずです。それを無視する(せざるを得ない)のが訳すという行為
なのです。
では、ここで問題です。
Q.日本のとある有名な本が英語に訳されています。題名は「I Am a Cat」です。原題は何でしょうか?
ピーンと来た方、いらっしゃいますよね?
答えは夏目漱石の「我が輩は猫である」です。
あの名作がな、な、な、なんと「I Am a Cat」ですよ!
信じられなくないですか。そう思うのは私だけ?違いますよね?
別に「僕は猫なんだ」でも、藤子先生のプロゴルファー猿流に「ワイは猫や」
でも英語だと全然変わんないんですよ。
仮に私が「ボクは猫なんだニャン」という絵本を出したとしたら、それも
「I Am a Cat」
になってしまいます・・・そんなの夏目漱石に失礼だ。
「I Am a Cat」
この味気なさが訳すことの限界を如実に表しているのです。
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[ポイント]
◇訳してしまうと味気ないっすよ
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≪あとがき≫
ごめんなさい。「我が輩は猫である」を”あの名作”と書きましたが、読んだことありません。
切腹。
メールマガジン購読を始めて間もないですが
いつも楽しく拝見しています。
メールマガジンを読んで、投票してみようとしたのですが、
「ログインしないと投票できません」というメッセージが出て投票できませんでした;
ここに書き込んでしまっていいのか迷ったのですが、書き込んじゃいますね。すみません。
私は、「つい訳してしまう」です。
ロイさんの文章はテンポがよくて、読みやすくて
すきです。
陰ながら応援してます。
これからもがんばりすぎないようにがんばってくださいね。
うれしいコメントをどうもありがとうございます。m(_ _)m
100回くらい読み返してしまいそうです。
投票はYahooのアカウントがないとできないみたいですね。
ごめんなさい、知りませんでした。
EIさんのご意見はちゃんと投票に加えさせて頂きます。