という、まぐまぐ殿堂入りメルマガを発行している、友人の西沢 知樹さんが
その中でこう書いていました。
>「ネイティブと話す機会や、海外で暮らす機会を得て、
> 英語が飛躍的に伸びる人と、全く伸びない人がいる。」
>
>結局のところ、その【違いをもたらすもの】は、
>いったい何なのか?
私ロイは、それを読んで、
いったい何だろう・・・?
と、しばらく考え込んでしまいました。
そして、私ロイなりの結論が出たので、これから書きますね。
■結論
ということで、結論から言いますが、私ロイが思うに
「英語がツールであるということを理解しているかどうか」
が大きいような気がします。
もちろん、英語というのは凄い力を秘めたツールだと思います。
でも、英語はそれでもやはりツールに過ぎないのです。
■英語の先にあるものを見る
ですので、英語以外のところと言いますか、英語の先にあるものを見ているか
どうか、ということが大きな違いをもたらすのではないかと思います。
例えばですが、英語を使って、
学問的な勉強をするとか、
コミュニケーションを楽しむとか、
ドラマや映画を楽しむとか、
ビジネスをするとか、
なんだっていいと思います。
例えば、私ロイは1年間アメリカに留学したことがありますが、その一番の
目的は、Computer Scienceの勉強でした。
英語をさらに身につけることも、もちろん目的の1つではありましたが、
それが一番ではなかった。
逆説的ですが、だから1年間で英語力も大きく伸ばすことができたのかな、
と思っています。
因みに、コンピュータの授業だけでなく、社会学(Sociology)とか、
スピーチ、英作文(Composition)なども取りました。
英語ばかりに目が行ってしまうと、日本人にありがちな
・文法にこだわる、
・間違えを恐れる、
・自分の意見を言わない、
ということになりやすい気がします。
でも、他のところにある、もっと大事なところに目を向けていれば、
ちょっとくらい間違ったって・・・
少しくらい文法が正しくなくたって・・・
それよりも英語で意志疎通ができる方を重視できるんです。
そして、それが大切なんだと思います。
■私ロイの失敗
というのはですね、私ロイは、アメリカに留学する2年前に、1ヶ月間
ホームステイに行ったことがあります。(当時19才)
実はそのときに失敗してるんですよ。
そのときは、英語をもっと学問的な、研究対象みたいに思っていたんです。
ちょうど、言語学に足を踏み入れたばかりで、英語という言語自体が
スゴク面白かったというのもあります。
でも、そのせいで、ホストファミリーとはうまくコミュニケーション
が取れませんでした。
すごくいい人達だったのですが、それ以降は全く交流がありません。。。
そのときの僕の考え方は、今思うとかなりダメダメでした。
コミュニケーションを楽しむのではなく、英語ばかり気にしていました。
ホストファミリーに「これどう思う?」とか「〜は好き?」とか聞いたり、
日本のことを教えてあげるんじゃなくて、「この単語ってどういう意味?」
とか聞いてばかりいたり(笑)
自分で英語をしゃべるときには、その前に頭の中で言いたいことを
きちんとまとめようとしてました。
でも、そうすると、まとまらない限り、話せないんですよね。
また、自分の言いたいことが上手く伝えられない場合には、誤解されるよりも
伝えないことを選んだりもしていました。
やっぱり、それって、英語ばかりに目が行っていて、その先にあるモノが
全然見えていなかったな〜、と振り返ってみて思います。
■まとめ
ということで、
>「ネイティブと話す機会や、海外で暮らす機会を得て、
> 英語が飛躍的に伸びる人と、全く伸びない人がいる。」
>
>結局のところ、その【違いをもたらすもの】は、
>いったい何なのか?
私ロイなりの結論は
英語がツールであるということを理解しているかどうか
だと思います。
■因みに
因みに、もともとの問いかけをした西沢 知樹さんは、300人以上の英語学習者のコンサルティングをしてきた経験を持っている人。
そんな彼がどういう答えを出すのか、私ロイは非常に気になっていましたが、
以下のページに答えがあるそうです。
→エゴポン